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勉強会始末記―古稀迎えて決断

めざすはカリスマ店員!

 

●長くも短くもあった「勉強会」の20年

今年、古稀を迎えた。還暦は年を意識しなかったが、10年後の古稀は何かと気になる。先は見えてくるし、この間に逝ってしまった友達は5指で足りない。

新学期に当たる4月は何かと考えさせられる月だった。その一つにこれまで続けてきた勉強会をどうするかという問題があったが、この4月から思い切って20年ほどやってきたこれをやめることにした。まことに勝手な決断で、お付き合いいただいた方々には申し訳ない。

思えば、柳橋に店を出したのが平成元年、49歳のことで、その1年後くらいから「古文書に親しむ会」と名付ける勉強会を始めた。古文書を読めるようになりたかったが一人では心細く、初心者が集まってみんなでやれば楽しく覚えられるのではないかというのが動機だった。幸い、お客様の一人に講師役を務めていただくことになる鬼頭勝之先生がおられた。

当初は名古屋駅前にある愛知県中小企業センターの一室を借りてやっていた。公共の施設とあって借り賃は安かったが、土曜日の夜を毎月予約するのが大変だった。適当な部屋がクジ引きでなかなか当たらず、人数に不釣り合いな大部屋になることもしばしばだった。

 予約する手続きの面倒くささから、空いた店の隣室を借りることにした。その部屋を「フリースペース」と名付け、勉強会の会場にしたり、応接室代わりや飲み食いの場などにも使っていた。ここでは10年以上もやっていたことになるが、平成17年、だんだん家賃が重荷になってきて、現在の新幹線高架内に店を移すことになった。

この間、受講生の一人でよく読まれた栗花光弥さんにも講師役をお願いし、従来の勉強会とは別に、月2回「尾張名所図会を原文で読む会」を始めた。先生はそのさなかに大病で倒れられながらも、「最後まで読み切る」との強い意志で奇跡的に回復され、全13巻を見事に読み終えられた。毎回手渡される手書きの資料は『のーと尾張名所図会』としていまに残ることになった。

 移転後の勉強会は大家さんである管理会社の貸し会議室を借りる形で続けた。それどころか「小治田之真清水(おわりだのましみず)を原文で読む会」と「名古屋市内の村絵図を読む会」というのも立ち上げた。しかし、交通の不便さと場所の分かりにくさもあって、ただでさえ少ない受講生がさらに少なくなった。

5年ほどかけて「村絵図」を70カ村分読み終えると、今度は社寺の正しい建て方について書いた『工匠技術之懐(こうしょうぎじゅつのふところ)』をやることにした。面白いと思って始めたのだが、これがさらに追い打ちをかけることになった。あまりにもマイナー過ぎるテーマだったのかと反省しないでもない。

会をやめるとなると、ちょっとさびしくもある。20年と言えば、小学校に入り大学を出るよりも、まだ長い年月である。それでいて古文書がいまだに読めないというのも情けない。

●次第に遊びが遊びでなくなってきた

この勉強会はみんな赤字の“三方一両損”で成り立っていた。先生には薄謝でお願いし、こちらは持ち出しになり、受講者は受講料を取られる。経費は部屋代、テキストや資料代、チラシ代その他こまごまといったが、それでもこれが続けられたのは好きなことを楽しみながらやれるということだった。

いつかカルチャーセンターに席を置く人から「よくやってるね」と感心されたことがある。そこでは20人にも満たないような講座は企画したとしても開講しないというのだ。こちらは受講料も参加したときのみ、1講座1回1000円という値段でやってきた。

しかし、このごろはこうばかりも言っておられなくなった。継続してゆくのがだんだん負担になってきたからだ。店の売り上げは減るばかりだし、体力的にも気力的にも衰え、しかも先が読めない。

やめる気持ちを決定的にしたのは前回の集まりの悪さだった。『工匠』の受講者は常連の一人とぼくの2人だけ、『小治田之真清水』はいつもくらいだったが10人にも満たなかった。20年余も続けてきて高齢化どころか亡くなられた方も多く、初めからいるのはぼくと鬼頭先生の2人だけになってしまっていた。

新しい人を迎えたいとチラシをまいたり、ネットで呼びかけるなどの募集活動もしてきた。しかし、現実にはなかなか難しかった。そう言えば、カルチャーセンターの人も「行政のする生涯学習センターや社会人向けに講座を開く大学も増え、名古屋でもうかっているところは1カ所あるくらい」とこぼしておられた。

やめるとなると、ちょっとさびしい。これまで参加してもらっていた方々にも申し訳ない。しかし、もともとはぼく個人の遊びで始めたことであり、それが楽しいものでなくなれば、廃止するのも致し方ないと思っている。

できればまた何か面白いことを、新しい形でやれたらいい。今年から始めた月1回の飲み会「名古屋歴史懇話会(略称・ナゴコン)」はこれまで通り、やってゆくつもりでいる。3回やってみたところでまだ赤字だが、もう少し参加者が増えればトントンになるどころか、下げられる可能性も出てきた。

こんなわけでまことに申し訳ないが、勉強会の方はやめさせてもらうことにした。事情ご賢察のうえ、お許し下さい。また何かやれることがあったら、お付き合いのほど、よろしくお願いしたい。(月刊「■名古屋なんでか情報」95号・2012.4.15)

 

 

■勉強会始末記―古稀迎えて決断
 
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