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■証義・桶狭間の戦い
暗号だらけだった『信長公記』の首巻

 桶狭間の合戦はたがいに布陣し合って戦ったわけではない。これから始まろうとするとき、信長の急襲で決着がついてしまった。それだけに両軍の動きがよく分からなく、様々な意見が出されており、いまだに定説というものがない。

 加えて、史料にも乏しい。負けた義元の方には記録類がなく、三河でも家康(当時は元康)が人質の身で、大高へは来ていたものの、まだ脇役でしかなかった。尾張から見た太田牛一の『信長公記』が第一級の史料とされているが、実はこれが一筋縄ではいかないものなのだ。

 『信長公記』は信長が京都へ上った永禄11年(1568)から本能寺で死ぬ天正10年(1582)までの15年間を1年1巻にまとめて本文とし、これに上洛以前のことを記した首巻が付く。首巻は後になってから書かれ、一冊にまとめられたとされている。

 写本は分かっているだけでも60種類を上回り、付けられたタイトルも『信長記』『安土記』『太田和泉守日記』『信長公記』などと様々だ。後に出る小瀬甫庵の『信長記』と区別するため、一般には『信長公記』の名で呼ばれている。

 本文はいわば“公式記録”とも言うべきものでまさに第一級の史料だが、首巻はこれとは違って太田牛一のメ覚え書きモといった程度のものだ。悪いことに、彼ならではの独特の書き方をしていたり、故意に事実をねじ曲げていたりして、その解釈をめぐっては異論噴出の状況である。

 この難問を見事に解決したのが『証義・桶狭間の戦い』の著者で、桶狭間にお住まいの尾畑太三さんである。尾畑さんは「わざわざ桶狭間を訪ねてきた人に、それなりの説明をしてあげたい」との一心から勉強を始め、『信長記』の小瀬甫庵をはじめ、これまでの著述家や歴史家・研究者ですら読み解けなかった『信長公記』の謎に迫った。そこには首巻を暗記するほど読み込み、著者太田牛一に乗り移ったような執念があった。

 「首巻は牛一の私的なもので、隠し文とか暗号でつづられていました。まるで推理小説を読むよう。素人だからこそ楽しみながらできたのかもしれません」

 語り口はあくまでも謙虚だ。しかし、尾畑さんはこれまでだれもが不思議に思いながら、だれにも解けなかった難問を見事に解決された。尾畑さんはこれ一冊で戦国史の研究にその名を残すことになるにちがいない。

 新著『証義・桶狭間の戦い』はそれほどのインパクトがある。尾畑さんにして初めてできた大仕事だ。著者の太田牛一も天上で「ようやくワシの真意を見抜くヤツが出てきたわい」と苦笑しているかもしれない。

 『信長公記』首巻の中でも桶狭間合戦の記述はとりわけ“難題”だった。これを論ずる著者や発言者は自分の都合に合わせて好き勝手に読み、それはまるで『魏志倭人伝』の解釈にも似ていた。では、同書が書き残した合戦の真実とは一体、どんなものだったのか。


 

 


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