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合戦図屏風で解説されることが多い昨今であるが、そこに合戦の真実が画かれているのであろうか。製作を依頼された大名たちの期待に応じて誇張が多く、合戦の真実とはかけ離れているのが現実である。しかし、一つの例外として『大坂夏の陣図屏風』(大阪城博物館蔵)がある。 そこには東軍の兵に暴行され、衣服を剥がされる女性たちが描かれている。藤木久志氏の『雑兵たちの戦場』(朝日選書)は戦場の現実を我々に教えてくれる。京都に凱旋した秀忠本隊にすら、車に乗せられた婦女子が戦利品としてあるのに、京の町民は慨嘆した。 後に詳述するが天竜川上流の月村(現、天竜市)の猟師や作手村(現、新城市)の村人が動員されている大坂の陣も、異なる角度から見る必要があると思われる。また、この戦争の講和使節が女性であったのも、歴史上前例がない。 「一将功なって万骨枯る」という言葉で言えば、一将のみが描かれる屏風には、戦争の現実が欠落している。御陣女郎が徘徊する状況を先に出した本(『女たちの徳川―伊勢上人・熱田上人・千姫・お亀の方』)で指摘したが、戦争は武士のみが参加したのではない。 このことは先の大戦でも言える。職業軍人の視点では見えない軍隊の現実を、野間宏氏(『真空地帯』)や五味川純平氏(『人間の条件』)が鮮やかに描いている。 また、鈴木尚氏の研究(『骨が語る日本史』学生社)によれば、天正8年(1580)の武田勝頼と北条氏直との沼津での合戦後に築かれた首塚を調査した結果、「遺骨の三分の二は男性、三分の一は女性と判断された。彼らは成年が主体で、熟年は僅であったが、老年と幼少年は全く認められなかった」とある。この兵士の構成は、彼らの出自の社会状況を考える点で興味深い。 なお、檜山良明氏の『日本史ドキュメント・大坂の陣』には大仏前の建立施設の軍需施設への転用等、多くのご教示を得たことを記しておきたい。また、『かなめいし』の複写を許可していただいた大洲市立図書館にまずは感謝したい。挿絵全図20枚を地震資料として活用したいと思っているが、とりあえず今回3図を掲載させていただいた。 また、甚目寺観音や真清田神社にもお世話になった。貴重な史料を活用させていただいたおかげで、これまで忘れられてきたものを発掘できたかと思う。 ご支援・ご協力いただいた多くの方々に改めて感謝したい。(同書の「はじめに」より)
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