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■尾張藩幕末風雲録
慶勝、田宮らの知られざる活躍
名古屋流生き方にも注目

 尊皇か佐幕か、攘夷か開国か――あの激動の幕末に、御三家筆頭の尾張藩は何もしなかった、との批判がある。中には「幕藩体制の葬儀委員長」との皮肉も。本当に尾張藩はそうだったのだろうか。

 幕末から維新への過渡期を語るとき、主役として登場するのは決まって新撰組や薩摩、長州などである。武力にものを言わせた派手な行動で目立ちやすい。しかし、水面下での尾張藩の「活躍」がなかったら、江戸無血開城への道もなかったのではないか。

 徳川慶勝(よしかつ)に率いられる尾張藩の根底には常に「血ぬらずして」事を収めたいとする思いがあった。ただの傍観者だったわけではないし、日和見を決め込んでいたわけでもない。どちらか一方に荷担するのではなく、幕府側にも朝廷側にも軸足を置くものだった。

 例えば、禁門の変の後に起こされた第一次長州征伐。総督となった慶勝は広島まで陣を進めながら、長州の責任者三家老の首を差し出させると、さっさと引き揚げてしまう。長州の面目をも立てたこの長征は故意に仕組んだ「八百長」とも言えるものであったが、後にそれが幕府側から手ぬるいと批判されることになった。

 長州再征で名古屋城に立ち寄った将軍家茂に、慶勝は執拗とも言えるほどの諫言をしている。このとき、将軍補佐役という立場にあった。付き従う老中の本荘宗秀(丹後宮津藩主)がそれを「場違い」として制止しようとすると、「控えよ、老中の権威をひけらかし、指図に従うことのみを求める。乱世では通用しない」としかり飛ばすほどの剣幕であった。

 第二次長征の結果は幕府連合軍が散々に負け、続く鳥羽伏見の戦いで命取りとなった。その直後に尾張では慶勝によるクーデター「青松葉事件」が引き起こされるが、これも「血ぬらずして」事を収めようとした必要最小限の犠牲だった。あのとき、尾張が態度を鮮明にしていなかったとしたら、外国勢をも巻き込みながら、日本は内乱に陥っていたかもしれない。

 事件後、名古屋の彫刻師や摺師などが総動員され、印刷された書状は諸国の藩主や幕府の代官に送られた。御三家筆頭の尾張藩が朝廷側に就いたことにより、各藩も雪崩を打つように藩論を統一してゆく。「血ぬらずして」事を収めようとするこの「活躍」がなければ、明治維新の幕開けももっと違ったものになっていたにちがいない。

 名古屋は東西の中間に位置する。筆者の渡辺氏は名古屋を東海道へも中山道へも出やすい「軍事都市」だったとし、「巨大すぎる」名古屋城にも注目している。そして、名古屋の重要性にいち早く目をつけたのが倒幕の中心的な公卿岩倉具視でもあった。

 慶勝の目指した「血ぬらずして」は東西の中間にある名古屋人の生き方でもある。真ん中にあって双方の仲を取り持ち、争うことをあまり好まない。そしてまた、都会と田舎の気風を合わせ持つ土地柄でもある。名古屋の立地や気風がこの未曾有の危機を最小限の犠牲で救ったと言えなくもない。

 激動のあの時代に信念を持って生き抜くのは容易なことではなかった。そうした中で渡辺氏が高く評価している人物は幕臣の一人で、若年寄として江戸城の明け渡しに立ち会うことになる大久保忠寛(一翁)である。彼は早くからいまの幕府ではやがて立ち行かなくなると見抜いていたが、慶勝は事あるごとに示す彼の意見に注目していた。

 郷土史というと狭い範囲での研究になりがち。渡辺氏は幕末期の国内はもちろんのこと、中国や西欧の動きなども見据え、さらには維新後の関係者らの行動や記録をも掘り起こすなどして一冊にまとめ上げている。とかく見落とされがちだった尾張藩の動きを克明に描き出しており、名古屋人にとっては勇気づけられそうな本でもある。

 

 

 

 


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