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■紙碑「東野村と武馬家の歴史」
◆「武馬」姓はどこから来たのか
 「武馬」姓は「最も詳しい」とされる太田亮編『姓氏家系大辞典』にも載っていない。同書は「武間(タケマ)」は紹介するが、この「タケマ」から「武間(ブマ)」が出たものの、本書で言う「武馬」とはまったく別の姓である。中には「夫馬」の項で付け足し的に「武馬」を取り上げている本もないではない。しかし、「夫馬」は源氏であり、「武馬」は平氏だ。姓氏辞典にも紹介されず、三文判にもない「武馬」姓は、われわれが想像している以上にめずらしい姓と言える。
 この「武馬」姓はどうやって生まれて来たのか。戦国時代、伊木山(美濃)の城主となった人物に武馬七右衛門がいる。野武士から歴史の桧舞台に躍り出た最初の人だ。これを手がかりにその足跡を追ってゆくと様々な新事実に出会うことになったが、その一つが何と妹を、いま話題の戦国史料『武功夜話』の主役の一人、前野将右衛門の妻にしていることだった。さて、「武馬」姓の由来とは、七右衛門なる人物とは−−。
◆発祥の地、江南市の東野から
 愛知県江南市東野町が「武馬」姓発祥の地だが、先の「武馬」姓とはこれまた異なる。こちらは藤原氏の出で、前者よりも早く名乗りを上げている。本書はここにお住まいの本家ご当主・武馬毅(たけし)氏が病身をおして「遺書のつもりで」書かれたもの。「武馬」姓は東野地区を中心に東海3県に多く、全国各地にも散見できる。こうしたもののほとんどがそのもとをたどれば、東野にたどり着くことになった。
 この「武馬」家の先祖は朝廷と鎌倉幕府とが争った「承久の乱」(西暦1221年)に敗れて都落ち、やがて大和を経て東野の地に居を定め「武馬」を称することとなった。近くの木曽川は激戦の展開された地でもある。後に、この家はお城にも似て「武馬屋敷」、あるいは字吹付の地名から「吹付屋敷」などとも呼ばれるほどになり、南北朝から戦国、江戸時代にかけて様々の足跡を残しながら今日に至っている。ご当主が初めて明らかにする東野と「武馬」家の歴史とは−−。

 

 

 


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