「捨てられてこそ、浮かぶ瀬もあれ」ってか?
「この商売、もうそろそろ限界かなあ……」
こう感じ始めたのは約10年ほど前、50歳になったころからだ。「商売」とは頼りにしていた唯一の収入源「売文業」のこと。編集プロダクションや広告会社、印刷所などから依頼を受け、フリーペーパーや雑誌、会社の社内報やPR誌などに原稿を書いてきたのだが、年とともに一つ二つと減り始めてきていた。
これがなくなると正直言ってイタイ。何しろ、紙と鉛筆(いまならパソコン)さえあれば、大した元手もいらずそれなりのお金になった。長年、これで食いつないできたのだが、ここへ来て急に敬遠されだした。
いくら若いつもりでいても、年にはやっぱり勝てない。若い人からオッサンと呼ばれても、別に違和感を持たなくなった。仕事が減少しだしたのもそのせいだ。
最大の理由は先方の担当者が若い人の代になり、年齢的なギャップが広がってしまったこと。年配のオッサンでは彼らの話についていけない。そうした発注者側にしてみれば、同世代かもう少し上の人にでも出しておいた方がやりやすいし、気も楽だったからだろう。
そして、もう一つは不景気でどこも予算を削られ、原稿料などのカットを迫られてきたことだ。これまでも値下げさせられるケースはめずらしくなかったが、若い人に切り替えればそんな交渉ごとなどをしなくてもよい。こちらも若いころは相手の言いなりの料金でベテランから仕事を奪い取ってきており、因果応報ということにでもなるのだろうか。
やる気はあっても、周りが変わってゆく。定年を迎えた人の無念の思いが分かるようだ。人はいつまでも現役でおられるわけではない。これまでは人ごとのように思っていたが、これが「世代交代」というものなのだろうか。
いつかこんなやるせない心境を知人にぼやいたら、彼は「そうならないよう常に努力している」と言った。「少なくとも5歳、欲を言えば10歳、若く見られたい。そのために髪を黒く染めているし、彼らの話についていくために雑誌や歌などにも関心を持つようにしている」。めっきり増えてきたわが白髪に手をやりながら、「そこまではとてもぼくに真似できないなあ」と思ったものだ。
お声が掛からないとなると、売文業は成り立たない。これまで片手間でやってきた本屋を、何とかして本業化させなくては。文字通り「稼業」とする本屋をどうやって実現するかが、収入源の先細りで緊急の課題となってきた。
悪いことに、定年で退職金がもらえれば安泰だが、こちらにそんなシャレたものはない。いつだったか退職した先輩から「君はいいなあ。いつまでも仕事ができて」と言われたことがある。その代わり、こちらは死ぬまで働いていなければならないンデス。
こうしたことからここ数年、老後戦略として本屋の仕事に力を入れだした。これも売文業がじり貧になってきたおかげである。ピンチをチャンスに代える、趣味・道楽を稼業・実業にする、またとない機会なのかもしれない。
それまで1週間に2日しか開店していなかった営業日を1日増やして水、木、金と3日にした(午後2時から同7時まで)。名古屋を中心とした東海地方の郷土史本に、より一層絞り込んだ。古書の在庫量を大幅に増やした(新書3に古書7の割合)。
限られた予算と時間の中で、大したことができるわけではない。しかし、やれることから一つ一つやってみようとの考えにたどり着いた。すでにシリに火がついたどころか、どんどん燃え広がってきている。
郷土史関係を主体とした本屋を目指すとなると、どうしても古書にまで広げざるを得ない。新刊だけでは数が知れているからだ。そしてまた、古書があるからこそ、充実した品ぞろえができる。
今年、60になった。サラリーマンなら定年だが、こちらは還暦を迎えてからの出発だ。現在の地で本屋を開いて15年目、なぜもっと早く本気にならなかったのか、われながらあきれてくる。
「充実した品揃えが客を呼ぶ」ってか?
この種の本屋は売ることよりも仕入れにかかっていることは、これまでの経験上からもそれなりに分かっていた。お客様の「○○の本はないか」「××は」との問いに、「店にあるものがすべて」「ないものはない」とテキトーにあしらってきた。「専門店」をヒョーボーしながら、そんないい加減のショーバイだった。
しかし、最近は大分違ってきた。仕入れに力を入れ始めた。新聞などで郷土史関係の自費出版の記事が紹介されれば、早速、著者に電話をかけて分けてもらうようにしているし、古書店めぐりや即売会などへもしばしば足を運ぶようになってきた。
そんな努力が実って、自分で言うのも何だが、それなりにり充実してきた。東海地方の郷土史関係の本はどこよりも多い。大型書店にある郷土史本の棚は問題にならないし(こんなものまでいちいち集めてはおられない)、地元古書店の棚もことこのジャンルに限っては追い抜いた(つもり)。
仕入れる方法は主に四つある。すなわち、(1)お客様からの直接買い入れ、(2)古書店からの「背取り」、(3)古書即売会での購入、(4)ブックオフなどリサイクル店からの購入。普通なら業者間の競り市で仕入れるのが主流だろうが、わけあって(というよりも、はっきり言うとお金がなくて)古書組合には入っていない。
仕入れで最も効率のよいのが最初にあげたお客様から直接仕入れることだ。が、郷土史関係の本は読み終わっても売りに出す人は少なく、また歴史の浅い当店への持ち込みは滅多にない。「どこよりも高く買いたい」とセンデンしているのだが、ほしい本はなかなかこちらに回ってこないのが実情である。
勢い二番目の古書店からの購入に頼らざるを得なくなる。市内はもちろんのこと、ときには東京や大阪、京都の古本屋へ足を延ばすことも。これが結構楽しいし、また、いい息抜きにも勉強にもなる。
しかし、店頭にあるものはむろん、何でも買えるというわけではない。当店のカラーにあった安いものを掘り出し、それに+αしても販売可能なものとなると、そんなに多くあるはずがない。先日など京都の古書店を一日中ほっつき歩きながら、10冊にも満たないという“不漁”で終わってしまった。
また、旅や出張などで時間があれば、極力、その町の古書店をのぞくようにしている。そうした店の棚をじっくり眺めていると、その町の風土や文化までが見えてくるような気になる。大体において、旧城下町の古書店にはそれなりのものが期待できる。
便利で収穫の多いのが、古書店が合同で行う展示即売会だ。地元名古屋では毎月1、2回行われており、岐阜などや東京、京都へ出掛けることも少なくない。総じて地元で出品された地元の本は高く、よそで出会うこちらの本は安い傾向にある。
そして、無視できないのが最後にあげたブックオフだ。100円コーナーや豪華本コーナーでいい本を見つけることも結構ある。一般のコーナーはおおむね定価の半額に設定されているから、まず見ない。探している時間を考えたら採算に合わないかもしれないが、時には思わぬお宝にめぐり会えるので、こちらのチェックもやめるにやめられない。
ブックオフは必ずしも古書店と対立するものではない。むしろ互いに補完し合い、住み分けができるのではないか。逆にこちらが売りに行くことだってある。
いずれの古書あさりも、やっていて楽しい。昔から古本も古本屋も大好きだった。本気になりだしたら、だんだん天職のように思えてきた。
こうした努力が実り、徐々にではあるが、お客様も増えてきている。今度はせめてもう一日、営業日を増やせるまでになりたい。そして、この本屋で何とか食えるようにしたい。
これまで「郷土史本専門店をめざす」をキャッチフレーズにしてきた。先ごろ、この「めざす」をはずした。老後はこの本屋で生き抜くという、オッサンのささやかな決意表明である。
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