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名古屋弁講座 その23

「さんまい」

「読書三昧」「温泉三昧」……「三昧」って、いい言葉?

 「いかんがや、ここにさんみゃーときゃーたるがや。やっぱりそーだったか」

 お客さんが江戸時代に描かれた西区(名古屋市)内の「村絵図」を見て、こんな言葉とともに深いため息をつかれた。土地を見てきたそうだが、現地で「さんまい」のウワサを耳にしたとか。一枚二枚三枚の「三枚」ではなく、漢字で書けば「三昧」だ。

 この「三昧」はわれわれも案外よく使っている。物事を「一心不乱にするさま」を言い、「読書三昧」とか「温泉三昧」とか言うのがそれ(名詞の後に付くと濁る)。しかし、名古屋弁の「さんまい」は「墓地」とか「火葬場」のこと。その「村絵図」には集落のはずれにはっきりと「三昧」と書かれていた。

 「三昧」を『広辞苑』で引くと「梵語samadhiの音訳」とし「一つのことに心を専注して無念になること。禅定」とある。そして、墓所にある葬式用のお堂「三昧堂」や墓所を意味する「三昧場」もあげている。「三昧」は死とか墓所に縁が深く、名古屋弁の「さんまい」は「三昧場」の「場」が略されたものであることが分かる。

 土葬の昔は両墓制と言い、「埋め墓」と「参り墓」を持つケースもあった。そうしたところではこの「埋め墓」を「さんまい」と言い、「参り墓」を「はかば」と使い分けていたとする説もある。すると「村絵図」にある「三昧」は「埋め墓」となり、いよいよ縁起はよくないことになる?

 「三昧」は古地図や古書などにはあっても、いまではほとんど使われていない。死者は火葬にするようになり、埋めることはもうほとんどない。それにつれて消えてしまったとでも言うのだろうか。

 ぼくたちの子供のころは「墓場」をもっぱら「焼き場」と呼んでいた。いま考えてみると「埋め墓」だったところに火葬場ができたのかもしれない。そう言えば、周りに埋めたような土まんじゅうのある焼き場を見かけることも多かった。

 「焼き場」は村からはずれたところにあり、手前の川に架かる橋が「極楽橋」だった。こうした「焼き場」は一つの字(村)に一つずつあった。夏場の夜には「焼き場」に残っている灰をつかんでくる肝試しも行われ、これがめちゃめちゃこわかった。

 昔の葬式は村中あげての行事とも言えるほどにぎやかだった。葬列は提灯や旗などもかざして、ぞろぞろと焼き場へ続いた。大げさに言えば、人生の最後を彩る大イベントでもあったわけだ。

 ところがいまは生まれるのも死ぬのも病院で、葬式ははやりの専用貸しホールとなって、家や地域と離れてしまっている。厳粛な生死に立ち会えないのは現代人の不幸と言えるかもしれない。われわれは物質的には恵まれているが、なぜかうすっぺらな人生をすごしているように感じられてならない。

 山田秋衛編『名古屋言葉辞典』は「サンマイダ」をあげている。「三昧田」とし「火葬場の称」としている。そして、次のように書く。「現在この称呼は名古屋では殆ど使われない。只江戸時代の地図には三昧田として多く記載されているが、明治には焼場とよびかえられた。大正以降は火葬場に統一され、三昧田の名は遠い昔のものとなった」。

 言葉は消えても、墓場はやはり気になる存在だ。以前、来店された若い女性は自分の住む「村絵図」を見て「墓地の跡になりますかねえ」と尋ねられた。聞けば、体調が優れないのは「住んでいるところがよくない」と占い師に言われたとのことであった。

 


 

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