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岐阜県洞戸村

仰の聖地、高賀山 洞戸の水、高橋尚子効果で人気沸騰

キウイフルーツで村おこし
イガイガにサルもお手上げ

 洞戸村は特産のキウイですっかり有名になった。実はチクチクした毛でおおわれていて見た目にはあまりよくないが、ビタミンCの多さではNo.1のヘルシーフルーツ。村の入口にある道の駅「ラステン洞戸」ではキウイから造ったワインまで売られていた。

 その産地が役場からさらに北上した尾倉地区である。冬場のいまはすっかり落葉し、殺風景な棚ばかりが目立った。村内で出会ったお年寄りに「どうしてキウイ?」と疑問に投げかけてみた。

 「ここはニュージーランドの気候と似とるとみえて、よくなる(実を結ぶ)からだよ。実は大風なんかにも強くて落ちんし、リンゴのようにいちいち紙袋(かんぶくろ)で包む必要もない。それに収穫してからもえらく長持ちしてくれてなあ」

 なるほど、いいところに目をつけたものだ。まだ比較的新しい果物なので、産地間の競争も少ないにちがいない。その人は「さらに」と言葉をつないだ。

 「この村は大自然に恵まれとって、有害鳥獣もよーけおる。何を作るにしても、これが頭痛のたねだった。悪さばかりするサルも、さすがにこれだけにはよう手を出さんよ」

 まさに、いいことづくめ。思わず「あんまり言わん方がいいですね。よそでも作り出すといかんで」と口に出してしまった。キウイでの村おこしは大成功ということか。

 毎年11月末の日曜日にマラソン大会が開催されているが、その名称は「ほらどキウイマラソン」。2000人を越す参加者があり、この村一番の人気行事に育ってきている。筆者も二度ほど出場させてもらったが、ふんだんに振る舞われるキウイはランナーたちの間でもなかなかの評判である。

 

色濃く残る高賀山信仰
信仰のメッカ、高賀神社

 洞戸村と板取村、八幡町の接点にそびえる山が中濃地域では一番高い高賀山(標高1224メートル)である。この山は加賀の白山信仰にも似て、古くから霊山としてあがめられてきた。山のふもとにある高賀地区の高賀神社はその中心となったところで、最盛期の鎌倉時代には多くの寺院が建ち並び、訪れる修験者や信者たちで大いににぎわったという。

 国道256号と別れ、高賀川に沿ってさかのぼった。途中に蓮華峯寺(れんげぶじ)と呼ばれる小堂が雪に埋もれるようにしてひっそりとたたずんでいた。ここは美濃三十三霊場の札所に数えられ、かつては高賀神社の近くにあって大伽藍を有していたとか。

 高賀神社は山のふもとの、最も奥まった地に鎮座していた。社前に顔はサル、体はトラ、尾はヘビに似た妖怪「さるとらへび」に、武将のまたがる大きな銅像が。この人こそ天暦年間(947-957)村上天皇の勅命を受け、妖怪退治にやってきた藤原高光だった。

 彼は山麓に21の神々を祭り、虚空蔵菩薩の加護により、見事これを退治した。その後、高賀山を取り囲むようにして六つの神社を建て、それらは後に“高賀六社”と称せられるようになってゆく。高光は36歌仙に名を連ねるほど歌道にも優れた人物で、同じくその一人に選ばれた猿丸大夫は反対側にある那比(なび・八幡町、その地に新宮神社がある)に滞在したときに設けた子供だすとる説もある。

 石段を上り切ると拝殿の向こう側に風雪に耐えた本殿があり、その左手には八幡神社が並ぶようにしてあった。本殿は280年ほど前に建てられたもので、八幡神社はそれよりもさらに50年さかのぼるとか。宮司には代々、高光の子孫が就くことになっており、現在は39代目に当たるとのことだった。

 高賀神社の祭神は主神の天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)をはじめとする21神に、明治になってから加えられた2神を合わせて合計23神。一つの神社にこれほど多くの神様が祭られているケースは全国的に見てもきわめてめずらしいらしい。高光はこんなにも多くの神々の支援を受け、ようやく怪物を退治することができたということか。

 

ひっそり、仏教美術の花々
旅僧、円空さんも足とめる

 境内の右手にある建物は文化財収蔵庫だった。いつもは閉められているようだが、200円ナリを払うと開けてもらえた。そこにはこれまでの長い高賀山信仰を物語るかのように、古色蒼然とした仏像や神像、古文書などが並べられていた。

 元禄期(1688-1704)に書かれた記録に、120体を越す仏像のあることが記されているとか。明治初年の廃仏毀釈でその多くは先ほど訪れた蓮華峯寺に移されたが、そのうちの28体はこの収蔵庫に納められている。中でも十一面観音や不動明王などは平安期に造られており、県の重要文化財などに指定されているものも少なくない。

 高賀山信仰の特徴の一つはおびただしいほどの懸け仏を残したことか。以前、那比の新宮神社で懸け仏や仏像、仏具などを見せてもらったことがあるが、廃仏毀釈のとき、村人たちが隠し守っていまに伝えてきたとを教えられた。こちらでも壊されたものを含めると、279面にのぼる懸け仏が残されているそうだ。

 収蔵庫の前には円空記念館が建てられている。円空は少なくとも3回はこの村を訪れているとか。隣接する美並村で造像のスタートを切っているが、円空仏の生まれる背景には高賀山信仰があったにちがいない。


立木に刻み込む遊行僧・円空の像
立木に刻み込む遊行僧・円空の像
 円空はこの高賀神社で仏像を彫ったり雨ごいなどもしている。そんな話に導かれるようにして館内に足を踏み入れると、梯子の上から立木の幹にノミを打ち込む雄姿が再現されていた。飛騨の千光寺で行ったイベントを模したものだが、この村でも貴重な足跡をたくさん残している。

 展示されているものの中には、先ごろ、大般若経の裏表紙から見つかった円空の和歌集もあった。最高傑作の一つと言われる、一本の木から彫った一対の狛犬もあった。虚空造菩薩はやさしくほほえみ、何事かを語りかけているかのようにも見えた。

 円空の出生地については美並村と羽島市との二説がある。高賀の山里で造仏の第一歩を踏み出し、晩年から入定する直前までこちらで過ごしていたことを思うと、美並村説に軍配を挙げたくもなってくる。円空は高賀の山にどのような思いを寄せていたのであろうか。

 

高橋尚子金メダルの水
まろやか「高賀の森水」

 いまこの村一番の人気スポットが名水「高賀の森水」水くみ場だ。高賀川が板取川に注ぐ河口近くにある。神社へ向かうときに立ち寄ろうとしたが、ペットボトルやポリタンクを持った人々の行列ができていてパスしてしまっていた。

 この水が広く知られるようになったのは、あの高橋尚子が「シドニーではいつもお茶代わりに洞戸の水を飲んでいました」と語ったことから。これが新聞などで報じられると「高橋尚子金メダルの水」と評判を呼び、さらには「小出監督水割りの水」とまで言われるように。いまでは周辺のコンビニエンスストアなどにも並ぶほどの人気だ。

 帰る前に板取村の板取川温泉に足を延ばした。ここの温泉もぬるっとしていていい湯だったが、併設の売店でも他のミネラルウォーターを押しのけて「高賀の森水」がいっぱい並べられていた。いまやこの地域では押しも押されぬ有名ブランドなのだ。

 「やっぱりうまいよ、天然の生の水だでね。お茶やコーヒー、水割りなどにもいいし、女房はご飯を炊くときや料理などにも使っている。こんなにおいしい水をただで分けてもらえるんだから、感謝しなくっちゃ」

 帰りがけ、行列に並ぶことにした。両手にポリタンクを持った前の男性はこう言って絶賛し、「これを飲み出したら、水道の水では物足りない」とも付け加えた。地下深くからくみ上げられた水は確かにまろやかでおいしかった。

 以前、ここを訪れる人は25万人ほどあったそうで、すでにこのあたりではよく知られていたわけだ。それに高橋効果まで加わって、まさに人気沸騰といったところ。鈍足の筆者でもこれを飲めば、多少は速く走れるようになるのだろうか。

 

[情報]洞戸村役場
〒501-2812 岐阜県武儀郡洞戸村市場
TEL:05815-2111

 

 

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