マイタウン(MyTown)| 一人出版社&ネット古書店 |
岐阜県神岡町 |
鉱山から素粒子研究の「カミオカンデ」へ 富山県と隣り合う神岡町を訪ねる
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スキーのメッカ、その名は流葉
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高山への道標と神岡城 |
園内の一角に「従高山八里」(高山より8里)と彫られた道標が立てられていた。江戸時代には高山領に組み入れられるが、厳しい検地に反対して幕府に直訴する事件まで起きている。先頭に立った村人を供養する碑はいまも町内に立てられているとのこと。
早速、町の散策に−−。歩いていて一瞬「どこか郡上にも似ているな」と思った。町の中央部を高原川が流れ、整備された遊歩道もある。ひなびた家々の前には水路が走り、ところどころでは共同の洗い場「水屋」も見かけられた。
知らないうちに支流の山田川へ出ていた。先ほどから町の様子が気になってはいたが、それもそのはず、こちらはかつてにぎわいをみせた花街だった。昭和30年代までは町の戸数とほぼ同じ、6000世帯にも及ぶ鉱山関係者の家があったそうである。
月見橋の名にも、橋のたもとの柳の木にも、どことなく風情が漂っている。こちらにはログハウス風の水屋があり、先ほどからおばあさんがしきりに野菜を洗っていた。ここはまた、町の人たちにとって格好の井戸端会議の場でもあるようだ。
そのおばあさんに「達磨寺」があると教えられた。訪ねた洞雲寺は元気なちびっ子たちの声でいっぱいだった。境内は隣りにある保育園の運動場でもあるらしい。
寺は補陀山と号する曹洞宗の古刹で、戦国時代、この地を支配した司馬氏によって建てられている。早速ご住職に案内されて達磨堂に入ると、あるわ、あるわ、上下2階の陳列室には大小様々な達磨がずらりと並べられていた。
その数、3000とも5000とも。全国各地の郷土玩具をまさに「一堂に集めた」という感じで、中には陶器や石、土で作られたものもある。さるコレクターの寄進により出来上がったそうだが、それにしてもよくもまあ、これだけ集めたものだ。
「達磨さんだって、もともとは手もあり足もあるわけですよ。せっかくお参りいただいたなら、ぜひ奥の院の方へも。そこの達磨さんはめずらしく立っておられるお姿で、しかも日本一大きいと言われております」
やや離れた裏手の山が同寺の奥の院。なるほど、これはめずらしい。こちらの達磨さんはすくっと立ち、あのギョロ目で天空をにらみ付けておいでだった。
背の高さは9メートルほどあるそうで、それが5メートルの台座の上に乗せられている。地元ではもっぱら「立ち達磨」の愛称で親しまれているらしい。当の達磨さんにとっては立ち上がってみたい思いにかられたことだろうが、その高さから見る瞳に神岡の町や周囲の景色はどのように映っているのだろうか。
この町にも温泉が湧いていた。昭和51年、弘法大師ゆかりの「イボ取り水」のあったところで鉱石の探査中、850メートルほど掘った地下から突然噴き出してきた。町では「割石温泉」と名付け、3年後には老人福祉センターをオープンさせている。
これがなかなかの人気なのだ。人里離れた山の湯を楽しもうというのか、駐車場には富山ナンバーの車も結構ある。さっぱりした表情で出てきた3人連れは「安くて気さく。弁当や酒の持ち込みもできるので、こんなにいいところはないよ」とご機嫌の様子。訪れる人が月に1万人はいると聞かされ、道理でにぎわっていたはずだと思った。
高原川をさらに下り、横山トンネル手前で車をとめた。ここまで来ると、もう富山との県境も近い。露出した断層はこの付近で見られるはずだ。
あまり訪れる人もいないのか、そこに通じる歩道橋はところどころで傷み、そして道には雑草が生い茂っていた。川原に出ると対岸に「横山楡原(にればら)衝上断層」と名付けられたむき出しの断層があった。古い地層が新しい地層を突き上げてできたもので、地理学的にも貴重らしく、国の天然記念物に指定されているとのこと。
断層のあるこの辺りは山々に囲まれた秘境で、岩や水の描き出す峡谷美はなかなかのものだった。山から張り出した断崖にさえぎられ、川は右に左にと大きくうねっている。こうして深い山の中でじっとしていると、周りの大自然を独り占めにしたような気分になってくる。
温泉といい鉱山といい、神岡町は大地の恵み豊か。そんな思いで町を後にすることにしたが、その3日後、テレビからはもう雪の便りが届けられていた。本格的な冬の訪れに、町は大いに活気づくにちがいない。
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