マイタウン(MyTown)| 一人出版社&ネット古書店 |
三重県阿児町 |
緑濃い島々、無数に浮かぶいかだ リアス式の美しい海は真珠のふるさと
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しっくり、国府のあった町
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マキ垣に魅せられて撮影に訪れる人もある国府集落 |
村人たちの話によると、マキ垣は戦国時代のころから続いているものだとか。ここは海から吹く風が強く、垣根の背が高いのも防風や防砂、防火のためもあるらしい。それにしても、よくもまあ申し合わせたように、どの家も見事な生け垣を作り上げたものだ。
そしてまた、この集落には「隠居制度」という独特のしきたりも残されていた、とか。長男が嫁をもらうと、両親は二男以下とともに同じ敷地内の家に“別居”した。これは天正8年(1580)に京都から来た道念という僧によって始められたものだそうだが、その背景には土地の分散を避ける意図や、たがいに競い合うことで家運を盛り立てようとするねらいもあったらしい。
集落から西寄りの海岸に出ると、そこは「国府白浜」と呼ばれる美しい浜辺だった。太平洋の荒波が打ち寄せ、それを目当てに集まったサーファーたちで大にぎわい。静かな集落の雰囲気とは裏腹に、海辺は明るく開放的な若者たちの天国だった。
緑の丘の向こうに、四角い灯台が白く光っていた。背景にあるのは群青色の大海原と抜けるような青空。ここ安乗埼灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となったところでもある。
眼前には太平洋が広がり、渥美半島もはっきりと見えた。振り返ると右手は断崖絶壁となり、その足元を荒波が激しく洗っている。左手はカキの養殖で名高い的矢湾で、鏡のように静かな深い入江となっていた。
近くに安乗埼灯台資料館があった。江戸時代には幕府直轄の灯明台が置かれ、明治6年、わが国灯台の生みの親とも言えるブラントン技師によって八角形のモダンなものに造り替えられた。現在の灯台は昭和13年にできたものだが、かつての八角形の灯台は三分の一のミニチュアで館内に展示されていた。
帰りしな、安乗集落に足をとめた。岬の先端部にあるこの村には耕地らしい耕地はなく、多くの家が漁業で暮らしを立てているようだ。坂の多い曲がりくねった細い道をはさみ、ひなびた民家が軒を寄せ合うようにして建ち並んでいた。
志摩の国府が阿児町にあったとは知らなかったが、郷土芸能「安乗文楽」ならその名を何度も聞いたことがある。400年の伝統を持つこの人形芝居は国の重要無形文化財にも指定され、毎年9月の24、5日の両日、安乗神社の舞台で上演されるとのこと。そうした人形や衣装などは鵜方駅前にある志摩民俗資料館でも見てきたばかりだった。
村を出たところで葬列に出会った。喪服に身を固めたどの顔も、黒く彫りの深い海の男たちのそれだった。大勢の会葬者たちに地域の絆の強さを感じたが、村がひっそりとしていたのは、この葬儀のためでもあったのか。
英虞湾に浮かぶ賢島は伊勢志摩国立公園の中でも中核的な観光地だ。島のあちこちに近代的なホテルが建ち、賢島大橋で結ばれた対岸にはゴルフ場やスポーツランドなどもある。ここへは四季を通じて多く行楽客がやってくる。
賢島は島と言っても、その実感はない。陸地とはわずか2、30メートルしか離れておらず、国道167号も近鉄志摩線もそのまま島に乗り入れている。全体が明るく華やかなリゾート地で、島とか終着駅とかのイメージはどこにもない。
志摩と言えば、真っ先に浮かぶのが真珠と海女ではないか。島には真珠を売る店や加工する店などがあちこちにあった。真珠を採る光景をこの目で見ることはできなかったが、シーズンともなるとハマユウの咲く浜辺に憩う海女さんたちの姿も見かけられるとか。
駅から海へ行くわずか100メートルほどの間に、真珠やみやげ物などを売る店、飲食店などが建ち並んでいる。サザエを焼く香ばしい匂いに引きつけられるようにして、観光客でにぎわう一軒の食堂にはいった。採りたての海の幸を口にほおばると、おいしさの感動がこみ上げてきた。
港には何隻もの遊覧船が停泊していた。ここから英虞湾めぐりの船も出ている。ひときわ目を引くスペイン風の帆船も泊まっていたが、そういえば人気のテーマパーク「志摩スペイン村」は阿児町に隣接する磯部町にあった。
あたりをしばらく散歩した後、志摩マリンランドに回ってみた。沢山のペンギンに迎えられて館内に入ると、そこはもう水中散歩でもしているかのような別世界。ゆったりと泳ぐ巨大なマンボウを見ていたら、ほろ酔い加減も手伝ってこちらまでマンボウのような気分になってくるのだった。
志摩半島は入江が複雑に入り込む、わが国でも有数のリアス式海岸。中でもここ英虞湾はその典型とも言え、岬や島の描き出す海岸線は変化に富む。これは地殻変動に伴い陸地が水没してできたもので、町内に残された陸地部分もそのほとんどが低地ばかりだ。
そんな中にあって隣接する浜島町側に、横山という標高200メートル余の山がある。リアス式海岸の本当の美しさは、やはり高いところから見下ろさないと分からない。さっそく車を走らせることにした。
山道の途中に石神神社という古風な社があった。社殿の脇に書かれた縁起を見ると、あの真珠王・御木本幸吉氏も信仰した、とある。わざわざ参拝に訪れたのを殊勝に思ってか、居合わせた神主さんは「いまはこんな姿だが……」と前置きして、由緒ある神社の歴史を披露して下さるのだった。
少し行くと「横山展望台」の案内標識。車を下りて石段を上り切ったら、突然、英虞湾が目の中に飛び込んできた。あいにくの曇り空だったのが残念だが、それでもここからの眺めはなかなかのものだ。
いま来た賢島が手にとるように見える。湾内にはいくつもの島々が点在し、それらの間には真珠いかだが無数に浮かんでいる。はるかかなたにはまるで太平洋をさえぎるかのように左手から大きく半島が延び、英虞湾をすっぽりと包み込むような格好になっている。
海岸部の複雑な地形も、この高さからなら丸見えだ。訪れる人がかなりあるところを見ると、阿児町観光の名所の一つでもあるらしい。展望台からは整備された遊歩道もできており、しばらくはあたりを散策しながら、様々な角度から自然の造り出した造形の美しさを楽しむのだった。
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