マイタウン(MyTown)| 一人出版社&ネット古書店 |
三重県大安町 |
キャンプとハイキングのメッカ 早くから宇賀渓で知られた町
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館内に町の歴史がいっぱい
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奇岩が並ぶ隠れた名所「砂山」 |
1時間ほど歩くと砂山に到着した。そこにはむき出しになった花崗岩が固まってあり、石の芸術作品を見ているようでもあった。吹き付ける風は強く、足元の下は断崖だった。
眼前には伊勢平野がどこまでも広がり、大安町の町並みも手に取るように見える。食堂のおじさんが自慢した「秋の紅葉は天下一品」の言葉も、周りの山の植生を見ていると分かってくるようだ。吹き出していた汗がいつしか消えており、風に追い立てられるようにして山を下りることにした。
「40年前にここへ来た。そのとき記念に植えた割り箸のような桜の苗が、それ、そこにある木じゃ。当時はランプだけのさびしい暮らしでなあ、電気が通じたのはそれから8年後のことじゃった」
“宇賀渓の名物じっさ”諸岡安久さんはいまある旅館や食堂、売店など、この商店街のパイオニア。自ら旅館と売店を営むほか、土木の請負仕事までしている。指された指の向こうには幹の直径3、40センチほどの桜の木があった。
あの遊歩道の石は人力で運んだのか。答えを聞いて「なるほど」と納得した。山から木を切り出すときと同じようにロープを張り、ビクに石を入れて運び上げたそうだ。それにしてもあれだけの道のり、気の遠くなるような作業だったにちがいない。
砂山から下を見てゾッとしたものだが、昨年の夏、そこで転落者が出て亡くなっているとか。そのときは諸岡さんも捜索に協力した。そんな話を聞かされると、また背筋が寒くなってくる。
「そう言えば、大相撲の名古屋場所の土俵はなあ、わしんとこから運び出しとる土でできとるんじゃぞ。10数年ほど前に相撲取りがこの町へ来てな、何をするかと思って見とったら、土で丸い玉を作って空へポイと放り投げたんや。それが地上に落ちても割れなかったもんで、それでここの土に決まったんだな」
うまい話ぶりに引き込まれ、実際に現地を見せてもらうことにした。そこは大安町ではなく、ちょっと出た菰野町地内の畑だった。畑の土は赤い色をした粘土質で、ここでできる大根や白菜は特においしいとか。毎年夏になると各部屋の土俵分も含め、ダンプ40台分の土を名古屋に送り出しているそうだ。
諸岡さんの元気な姿にはびっくり。車を運転してびゅんびゅん走るし、ショベルカーも巧みに使いこなす。とても70過ぎのお年には見えなかった。
昨日から宇賀渓をうろちょろしているが、学生のときに訪れたイメージとはどこか違っている。あのころは大きな岩がゴロゴロあって、もっと渓谷美にあふれていたはず。首をひねりながらも、その一方では、40年近くもたつので無理もないか、との思わないわけでもない。
出会った人にそんな疑問をぶつけてみたら、「道路もできて昔とは大違いよ」との返事。いまはキャンプ場や遊歩道なども整備され、かつて見られたような野趣あふれる風景は消えてしまったのか。
地図を見ると宇賀渓にはいくつもの滝がある。滝めぐりとしゃれ込んで、川に沿ってさかのぼることにした。道はだらだらの登り坂だが、あたりは静まり返って深山幽谷の趣がある。
しばらくして、これまで抱いてきた疑問がとけてきた。キヤンプ場や商店のあったところはまだほんの入口にすぎなかったのだ。やがてゴロゴロした岩が現れ、忘れもしない、仲間と上に乗って記念写真を撮った大きな岩もちゃっとあった。
魚止めの滝は落差こそ小さかったが、水量は多くて力強さにあふれていた。次に現れた五階滝はまさにその名の通り、右に左にと五つに折れながら、岩の間をぬって水が華麗に流れ落ちている。さらにさかのぼった山奥には落差の大きな長尾滝もあった。
キャンプ村を振り出しに、この間、時間にして約1時間半ほど。滝と清流の楽しめる、快適なハイキングコースだった。あのときは魚止めの滝どまりだったが、今回は山奥にまで踏み込んで新たな体験もできた。
宇賀渓は何も変わっていなかった。昔ながらの風景がいまに生き続けていた。手近なところで大自然にふれられる、この森と渓谷の魅力を再確認させられる思いだった。
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