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三重県磯部町

景色よし、食べ物よし、うまし国 陽光ふり注ぐリアスの海

神話のふるさと、ここに
真珠王も愛飲?岩戸の名水

 天の岩戸伝説の舞台は磯部町だった!?--県道・伊勢道路でこの町に入ったと思ったとたん、道路脇に「天の岩戸」の案内板。矢印につられるように右折して、山道に分け入ることにした。

 駐車場に車を捨て、杉木立の参道を進んだ。あたりはうっそうとした森で、冷たい空気に霊気すら感じられてくる。突き当たりの岩肌に人一人がやっと通り抜けられるほどの洞窟があり、その中から清らかな水がこんこんと流れ出していた。

 洞穴の入口には注連縄(しめなわ)が張られ、その前に小さな鳥居も建てられている。かたわらでは“真珠王”御木本幸吉手植えのクスノキが抱え切れないほどの大木となり、それにもおごそかに注連縄が巻かれていた。この天の岩戸は地元の地名からまたの名を「恵利原(えりはら)の水穴」とも呼ばれているそうで、静まり返った山中はこの洞窟を中心にして神聖な雰囲気に包まれていた。

 湧き出る水を一口含んでみた。きりっと冷たく、それでいてまろやか。この水は「日本名水100選」の一つに数えられているほどのもので、折しもポリタンクを持った人が水を汲みにやってきた。伊勢から来たというその人は「お茶だろうが水割りだろうが、これを使うと何だってうまくなるんや」とうれしそうに語るのだった。

 洞窟の入口は狭いが、中は結構広く、奥も深いらしい。それにしても、天照大神(あまてらすおおみかみ)の隠れられた洞穴がこれだったとは。すると、天鈿女命(あめのうずめのみこと)はいま立っているここらあたりで踊り、天照大神を外へ誘い出したことになるのか。付近一帯は「高天原(たかまがはら)」とも言われているそうで、しばし神話のストーリーを夢想してみるのだった。

 気が付けば境内の片隅に「風穴」の矢印。水穴があるなら、風穴もあるのか。山道を十分ほど歩くと、これまたいわくあり気な洞窟が山肌にぽっかりと口を開けているのだった。

 

町中は見どころいっぱい
鸚鵡岩から伊雑宮、資料館へ

 市街へ入る手前、左手の和合山の中腹に「鸚鵡(おうむ)岩」という高さ31メートル、幅127メートルの巨岩があった。国民宿舎「伊勢志摩ロッジ」のすぐ下。古くから知られた名所だそうで、多くの文人墨客もこの地を訪れているとか。

 岩の前に設けられた「聞き場」に立ってみた。同行の相棒に50メートルほど下にある「語り場」で声を張り上げてもらうと、それが反射してきれいに聞こえてくる。おうむ返しのようにこだましてくることから名付けられたのだろうが、それはまるで岩が語りかけてくるようにも感じられてきた。

 この岩山の後ろが展望台になっていた。そこからは磯部町の町並みや複雑な海岸線を一望できた。今回はパスすることになりそうだが、町の真ん中あたりには志摩スペイン村「パルケエスパーニャ」も手にとるように眺められた。

 この町は地理的にも伊勢に近く、伊勢神宮との関係も深いようだ。次に訪れた伊雑宮(いざわのみや)は内宮の別宮とされ、こんもりと茂った森の中に鎮座ましましていた。近くにあった佐美長(さみなが)神社も、神宮を伊勢に移したとされる倭姫命(やまとひめのみこと)ゆかりの神社だった。

 その佐美長神社そばの郷土資料館へも足を延ばしてみた。図書館と併設された小ぢんまりとした施設だったが、展示されている一つ一つが初めてこの町を訪れた目には新鮮に映る。町は江戸時代、江戸-大坂航路の寄港地として栄え、特に入口に当たる的矢地区は風待ち港として大いににぎわったそうである。


御田植祭りの行われる伊雑宮の御料田
御田植祭りの行われる伊雑宮の御料田
 先に訪れた伊雑宮には御田植祭りの行われる御料田(ごりょうでん)もあった。毎年6月24日に行われるその神事は香取神宮(千葉県)、住吉大社(大阪府)と並んで日本三大御田植祭りに数えられているそうだが、当日の模様をビデオで拝見することもできた。裸の青年たちが泥まみれになって忌竹(いみだけ)を奪い合う勇壮なシーンもあり、見ているとなかなか興味深い神事のようである。

 

的矢湾大橋、展望の名所に
青い海にカキイカダ鮮やか

 磯部町と言えば的矢湾のカキはあまりにも有名だが、ウナギがこの町の特産だとは知らなかった。昨夜泊まった伊雑宮そばの旅館も、ウナギ料理を売り物とする老舗だった。町には「かき」に負けないほど「うなぎ」と書かれた看板が目についた。

 この日は町の東端、的矢地区へ行ってみることにした。海は的矢湾から深々と湾入し、奥にできた伊雑ノ浦(いぞのうら)では“冬の風物詩”青さのりが養殖シーズンにはいっている。その伊雑ノ浦を南側から回り、パールロードを通って対岸の的矢地区へ--。

 的矢湾大橋のたもとは展望台になっていた。眼前にリアス式の美しい海が広がり、日差しを浴びて輝く海面にはカキ養殖のイカダが整然と並んでいる。この町はほぼ全域が伊勢志摩国立公園に指定されており、こうして町内を走っていると至る所で風光明媚な景色に出会うことになる。

 的矢集落は山と海との間にできたわずかばかりの土地に、民家がひしめき合うように連なっていた。車一台がかろうじて通れるほどの狭い道を進んで行くと、先端にある的矢村神社の前に出た。境内の高台から眺める景色も、これまた素晴らしいものだった。

 いま通ってきたばかりの集落が見下ろせる。目を転じると、海には緑濃い渡鹿野島(わたかのじま)が横たわっている。そして、足元近くにはこの村が生んだ俳人青峰の「日輪は筏にそそぎ牡蛎(カキ)育つ」と彫られた句碑も立てられているのだった。

 このあたりの山は日和山と言うそうだ。この日は気温は低いものの、のどかで風もなかった。昨日、資料館で教えられたように、山の名から推察すると寄港した船頭たちがこの山に登り、空や海の様子を眺めていたのだろうか。

 

初めて知った「三ケ所」の地名
リゾートに変身、渡鹿野島

 カキ料理に舌鼓を打った後、対岸の「三ケ所」地区を回ることにした。「五ケ所」の地名があれば「三ケ所」もあるのか。こちらの湾内では“海の宝石”真珠の養殖が盛んに行われている。

 三ケ所から渡鹿野島へ渡る船が出ていた。この島の名を聞いただけで男心をくすぐられたものだが、いまはどのような状況になっているのだろうか。渡し船は“海の県道”として無料で運航されており、わずか5、6分で送り届けてもらうことができた。

 上陸したものの、そこには何もなかった。どうやら島の裏手に着いた感じだ。島を横切って反対側に出ると、そこは打って変わって立派なホテルや旅館が競い合うようにして建ち並んでいた。

 どうやら島は健全なリゾート地に変身しつつあるようだ。こちらから見ると、対岸は阿児町の安乗岬。そういえば以前、安乗崎灯台を訪ねたとき、その途中で渡鹿野島へ渡る案内板を何本も見かけたものである。

 島の北の方にあるという渡鹿野園地へ行ってみることにした。道端では梅が可憐な花を咲かせ、早くも菜の花まで咲き誇っている。この島はよけい暖かいとみえて、南国情緒すら感じられてくる。

 園地からは的矢湾が一望のもとに眺められた。しかし、観光客らしい人はどこへ行っても見当たらない。今度は反対側にあるという和田の大松とやらを見に行ったが、その松に立て札一つあるわけでなく、わざわざ見に来るほどのものでもなかった。

 再びホテルのある海岸へ戻ると、居合わせたおばさんが「船に乗るなら青い旗のにするといいよ。無料だから」と声をかけてくる。口には出さないが「いまごろ帰ってしまうのか」と言いたげにも聞こえる。白昼来たのがちょっとむなしく感じられるような島でもあった。

 

[情報]磯部町役場
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