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静岡県三ヶ日町

ミカンばかりの町ではないぞ あるある、楽しい見どころ遊びどころ

これが町名発祥の池か
神宮は三ヶ日に来ていた?

 「三ヶ日」があるなら、周辺に「四ケ日」や「五ケ日」もあったのか?--東名を走っていて、ふとこんな疑問が湧いてきた。名古屋には「二女子」や「四女子」「五女子」の町名があり、遠い青森には「三戸」とか「五戸」「八戸」などもある。

 町に入って早速、町名の由来について尋ねてみた。「三ヶ日池という池があってな、そこから出てきているんですよ」。その池は昔、ある長者が魚を捕ろうとして多くの人夫を雇い、三日三晩かけて汲み出したが少しも減らず、ついにあきらめてしまったという伝説から来ているとか。

 池は町内の中心部、三ヶ日地区にあった。周辺はすっかり埋め尽くされてしまったのか、ネコの額ほどの申し訳程度のものだった。もし町名発祥の池と教えられていなかったら、この脇を通っていても気付かなかったにちがいない。

 すぐ近くに当地の神社の“総本山”、その名も浜名惣社神明宮という古社があった。垂仁天皇の皇女倭媛命(やまとひめのみこと)は伊勢の五十鈴川のほとりに神宮を定めるが、それより少し前、候補地として船でこの地にやってきたと言われているそうだ。本殿は厚い板を交互に組み合わせた「せいろう造り」と呼ばれる古い形式をいまに伝え、平成5年には国の重要文化財にも指定されている。

 三ヶ日池の向こう側には“おんぞ様”と呼ばれる、これまた伊勢神宮とはかかわりの深い神社があるという。惣社の駐車場に車を捨て、いま来た道をぶらぶら歩いてみることにした。町内に入るとミカン畑の広がる丘陵地が多かったが、このあたりは平坦な地形で住宅地や田畑などとなっている。

 めざす初生衣(うぶぎぬ)神社は惣社とは逆に、小ぢんまりとした簡素なお宮だっだ。機織りの祖神である天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)を祭り、遠州織物発祥の聖地として崇められてきた。毎年、初生衣を伊勢神宮に奉納していた故事にならい、4月13日には「御衣(おんぞ)祭」がおごそかに営まれているとのことである。

 

心安らぐ古寺の名園
戦いの歴史、城の遺構に

 三ヶ日人の例を持ち出すまでもなく、ここは古い歴史に彩られた町だった。特に、由緒ある神社仏閣が意外と言えるほど多くある。真言宗の古刹、大福寺と並ぶ摩訶耶(まかや)寺も、見応え十分な名刹だった。


石組みも美しい摩訶耶(まかや)寺の庭園
石組みも美しい摩訶耶(まかや)寺の庭園
 寺は神亀3年(726)聖武天皇の勅願所として、僧行基によって創建されている。現在の本堂は寛永9年(1632)に建てられたものだそうだが、格子状に組まれた格天井(ごうてんじょう)の一ます一ますには見事な絵が描かれていた。廊下で繋がる宝物庫では国の重文に指定されている不動明王など3体の名作を拝観することもできた。

 境内左手の庭園は池泉回遊式の名園で、鎌倉初期に作られたものだとか。中央に配された池ではスイレンが可憐な花を咲かせ、どこかで鳴くカエルの声までが趣を添えている。かたわらに座って庭を眺めていると、時の流れを忘れさせてくれるようでもある。

 境内から千頭峯(せんとうがみね)城に通じる小道があった。この城は南北朝のころ、後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王を奉じて奮戦した井伊氏の、西方における最大の拠点だった。城はやがて北朝方の猛攻を受けることになるが、3カ月の間よく耐え、暦応2年(1339)に落城している。

 道は麓に広がるミカン畑の中を通り、山頂までほぼ一直線に延びていた。標高は140メートルにも満たない小さな山だが、急な上り坂で額から大粒の汗が吹き出してくる。案内板には南北朝期の築城とあったが、この城が強化されたのは戦国期になってからのようで、おそらく今川氏の手で改修されてきたのではないか。

 山頂の天守台には小祠が祭られていた。ここからの眺望は素晴らしく、三ヶ日町の町並みや猪鼻湖(いのはなこ)、さらにはそれに続く浜名湖も見渡せ、ひるがえると豊橋方面の本坂峠や新城との境をなす宇利峠までも望めた。西の方を眺めていると東三河の押さえとした、この城の重要性を無言のうちに語りかけてくるようでもある。

 

仲良く朱と銀の釣り橋
湖口は三ヶ日観光の目玉

 浜名湖の奥にできたもう一つの湖、猪鼻湖。二つの湖の繋がる「瀬戸」と呼ばれる水道付近にやってきた。この狭い水路に県道と有料道路「浜名湖レークサイドウェイ」との二つの釣り橋が並行するように架けられている。

 このあたりは湖の結び目として地形的にも面白いが、奇岩や老松で彩られた景勝の地でもある。対岸の水道に面した岩の上には小さな神社も祭られていた。赤い太鼓橋が人目を引き、周辺の景観にアクセントを添えている。

 引き付けられるように、先端の神社に足を向けた。猪鼻湖神社はささやかな社殿ながら式内社だそうで、創建は「12代景行天皇以前」とある。海上の安全や豊漁を願って、早くからこの地の人々に信仰されてきたのだろう。

 気がつけば、境内脇の湖面のところどころに、妙なさざ波が立っている。不思議に思ってのぞき込むと、何とそれはおびただしいほどの小魚の群れだった。湖面が黒くなるほどの、ものすごい数だ。

 いったん引き返し、少し奥の湖岸に出た。そこでは何人かの人が釣り糸を垂れている。そのうちの一人に尋ねてみると「ねらいはボラだよ。4、50センチほどの大物も釣れる」とご機嫌の様子だった。

 猪鼻湖はマリーンスポーツを楽しむ若者たちでもにぎわっていた。ウインドサーフィンにジェットスキー、そしてモーターボートにヨット。湖を抱え込む形の三ヶ日町はリゾート地として人気もなかなか高いようである。

 

姫街道、町中を東西に
象も悲鳴を上げた急な峠道

 この町へ来たらぜひ訪ねてみたかったのが、かつての東海道のバイパス「姫街道」である。船で渡らなければならなかった今切(東海道)を避け、その道は猪鼻湖と浜名湖の北側を通り抜けていた。特に、女性の利用者が多かったことからこの名で親しまれてきたが、もとはひなびた(田舎びた)風情の街道「ひな街道」から来ているとか。

 細江町との境、引佐(いなさ)峠から三ヶ日方面に向け、少し歩いてみることにした。峠付近は小公園として整備され、街道にはきれいに小石が敷き詰められている。歩き出すとどこから来たのか、ニャーニャーと鳴きながら一匹の小ネコがまとわりついてきた。

 この峠は豊橋との境にある本坂峠に次ぐ通行の難所だった。将軍吉宗の見たがった象もこの道を通っており、急な坂に悲鳴を上げたとみえて、「象鳴き坂」と名付けられた坂道もあった。どこまでもついてくる小ネコにこちらも悲鳴を上げそうになったが、人なつっこいところを見るとまだ捨てられたばかりなのか。

 「期待に応えてやれないけど、だれかいい人に拾われろよ」

 後ろ髪を引かれる思いで、反対側の本坂峠へ行くことに。峠の手前には三筆の一人に数えられた橘逸勢(たちばなのはやなり)を祭る橘神社があった。彼は謀反を図った罪で伊豆に流される途中、この近くで病没したと言われており、境内にはその墓も建てられていた。

 街道は国道362号と別れ、山の中へ入ってゆく。樹齢200年以上というツバキの原生林の中を、細い道は右に左にと緩やかにカーブしながら続いている。街道散歩が静かなブームだというのに、すれ違う人とていない人気(ひとけ)のない道だ。

 すぐ近くまで車で来たはずなのに、峠まではかなりの距離があった。この急坂は姫街道最大の難所である。吹き出る汗をぬぐいながら上っていると、旅する人たちの難儀さが思いやられてくるのだった。

 

[情報]三ヶ日町役場
〒431-1495 静岡県引佐郡三ヶ日町三ヶ日500-1
TEL:053-524-1112

 

 

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